かう云ふ風采を具へた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことであらう。侍所《さぶらひどころ》にゐる連中は、五位に対して、殆ど蠅《はへ》程の注意も払はない。有位《うゐ》無位《むゐ》、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、眼を遮《さへぎ》らないのであらう。下役でさへさうだとすれば、別当とか、侍所の司《つかさ》とか云ふ上役たちが頭から彼を相手にしないのは、寧《むし》ろ自然の数《すう》である。彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。人間に、言語があるのは、偶然ではない。従つて、彼等も手真似では用を弁じない事が、時々ある。が、彼等は、それを全然五位の悟性に、欠陥があるからだと、思つてゐるらしい。そこで彼等は用が足りないと、この男の歪んだ揉《もみ》烏帽子の先から、切れかかつた藁草履《わらざうり》の尻まで、万遍なく見上げたり、見下したりして、それから、鼻で哂《わら》ひながら、急に後を向いてしまふ。それでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じない程、意気地のない、臆病な人間だつたのである。
所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄《ほんろう》しようとした。年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落《しやれ》を聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂《いはゆる》興言利口《きようげんりこう》の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲《ひんしつ》して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ唇《くち》の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡《しばしば》彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等は甚《はなはだ》、性質《たち》の悪い悪戯《いたづら》さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝《ささえ》の酒を飲んで、後《あと》へ尿《いばり》を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡《およそ》、想像される事だらうと思ふ。
しかし、五位はこれらの揶揄《やゆ》に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。黙つて例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましてゐる。唯、同僚の悪戯が、嵩《かう》じすぎて、髷《まげ》に紙切れをつけたり、太刀《たち》の鞘《さや》に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは。」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。)――さう云ふ気が、朧《おぼろ》げながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波《たんば》の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年である。勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑《けいべつ》した。所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さを露《あらは》すやうに思はれた。さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味《いちみ》の慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。……
しかし、それは、唯この男一人に、限つた事である。かう云ふ例外を除けば、五位は、依然として周囲の軽蔑の中に、犬のやうな生活を続けて行かなければならなかつた。第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍《あをにび》の水干と、同じ色の指貫《さしぬき》とが一つづつあるのが、今ではそれが上白《うはじろ》んで、藍《あゐ》とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴《きくとぢ》の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車を牽《ひ》いてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それに佩《は》いてゐる太刀も、頗る覚束《おぼつか》ない物で、柄《つか》の金具も如何《いかが》はしければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦《ばか》にするのも、無理はない。現に、かう云ふ事さへあつた。……
或る日、五位が三条坊門を神泉苑の方へ行く所で、子供が六七人、路ばたに集つて、何かしてゐるのを見た事がある。「こまつぶり」でも、廻してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処《どこ》かから迷つて来た、尨犬《むくいぬ》の首へ繩をつけて、打つたり殴《たた》いたりしてゐるのであつた。臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれれば、痛いでのう」と声をかけた。すると、その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、蔑《さげ》すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。云はば侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれたうもない。」その子供は一足下りながら、高慢な唇を反らせて、かう云つた。「何ぢや、この鼻赤めが。」五位はこの語《ことば》が自分の顔を打つたやうに感じた。が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。云はなくともいい事を云つて、恥をかいた自分が、情なくなつたからである。彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、黙つて、又、神泉苑の方へ歩き出した。後では、子供が、六七人、肩を寄せて、「べつかつかう」をしたり、舌を出したりしてゐる。勿論彼はそんな事を知らない。知つてゐたにしても、それが、この意気地のない五位にとつて、何であらう。……
では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。五位は五六年前から芋粥《いもがゆ》と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛《あまづら》の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗《ばんじよう》の君の食膳にさへ、上せられた。従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉《のど》を沾《うるほ》すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支《さしつかへ》ない程であつた。――人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまふ。その愚を哂《わら》ふ者は、畢竟《ひつきやう》、人生に対する路傍の人に過ぎない。
しかし、五位が夢想してゐた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となつて現れた。その始終を書かうと云ふのが、芋粥の話の目的なのである。
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或年の正月二日、基経の第《だい》に、所謂《いはゆる》臨時の客があつた時の事である。(臨時の客は二宮《にぐう》の大饗《だいきやう》と同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部《かんだちめ》を招いて催す饗宴で、大饗と別に変りがない。)五位も、外の侍たちにまじつて、その残肴《ざんかう》の相伴《しやうばん》をした。当時はまだ、取食《とりば》みの習慣がなくて、残肴は、その家の侍が一堂に集まつて、食ふ事になつてゐたからである。尤《もつと》も、大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りに碌な物はない、餅、伏菟《ふと》、蒸鮑《むしあはび》、干鳥《ほしどり》、宇治の氷魚《ひを》、近江《あふみ》の鮒《ふな》、鯛の楚割《すはやり》、鮭の内子《こごもり》、焼蛸《やきだこ》、大海老《おほえび》、大柑子《おほかうじ》、小柑子、橘、串柿などの類《たぐひ》である。唯、その中に、例の芋粥があつた。五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年は、特に、少かつた。さうして気のせゐか、何時もより、余程味が好い。そこで、彼は飲んでしまつた後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐる滴《しづく》を、掌で拭いて誰に云ふともなく、「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、かう云つた。
「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな。」
五位の語《ことば》が完《をは》らない中に、誰かが、嘲笑《あざわら》つた。錆《さび》のある、鷹揚《おうやう》な、武人らしい声である。五位は、猫背の首を挙げて、臆病らしく、その人の方を見た。声の主は、その頃同じ基経の恪勤《かくごん》になつてゐた、民部卿時長の子藤原|利仁《としひと》である。肩幅の広い、身長《みのたけ》の群を抜いた逞《たくま》しい大男で、これは、ゆでぐりを噛みながら、黒酒《くろき》の杯《さかづき》を重ねてゐた。もう大分酔がまはつてゐるらしい。
「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫《れんびん》とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」
始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空《から》の椀とを等分に見比べてゐた。
「おいやかな。」
「……」
「どうぢや。」
「……」
五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦《ばか》にされさうな気さへする。彼は躊躇《ちうちよ》した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時《いつ》までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。
彼は、それを聞くと、慌《あわただ》しく答へた。
「いや……忝《かたじけな》うござる。」
この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅《とうくわうきつこう》を盛つた窪坏《くぼつき》や高坏の上に多くの揉《もみ》烏帽子や立《たて》烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最《もつとも》、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。
「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「……しかと、よろしいな。」
「忝うござる。」
五位は赤くなつて、吃《ども》りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層|可笑《をか》しさうに広い肩をゆすつて、哄笑《こうせう》した。この朔北《さくほく》の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。
しかし幸《さいはひ》に談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまつた。これは事によると、外の連中が、たとひ嘲弄にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させるのが、不快だつたからかも知れない。兎に角、談柄《だんぺい》はそれからそれへと移つて、酒も肴《さかな》も残少《のこりずくな》になつた時分には、某《なにがし》と云ふ侍|学生《がくしやう》が、行縢《むかばき》の片皮へ、両足を入れて馬に乗らうとした話が、一座の興味を集めてゐた。が、五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。前に雉子《きぎす》の炙《や》いたのがあつても、箸をつけない。黒酒の杯があつても、口を触れない。彼は、唯、両手を膝の上に置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつた鬢《びん》の辺まで、初心《うぶ》らしく上気しながら、何時までも空になつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。……
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それから、四五日たつた日の午前、加茂川の河原に沿つて、粟田口《あはたぐち》へ通ふ街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があつた。一人は濃い縹《はなだ》の狩衣《かりぎぬ》に同じ色の袴をして、打出《うちで》の太刀を佩《は》いた「鬚黒く鬢《びん》ぐきよき」男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍《あをにび》の水干に、薄綿の衣《きぬ》を二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子《ようす》と云ひ、赤鼻でしかも穴のあたりが、洟《はな》にぬれてゐる容子と云ひ、身のまはり万端のみすぼらしい事|夥《おびただ》しい。尤も、馬は二人とも、前のは月毛《つきげ》、後のは蘆毛《あしげ》の三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとして随《つ》いて行くのは、調度掛と舎人《とねり》とに相違ない。――これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、ここに断るまでもない話であらう。
冬とは云ひながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲《せんくわん》たる水の辺《ほとり》に立枯れてゐる蓬《よもぎ》の葉を、ゆする程の風もない。川に臨んだ背の低い柳は、葉のない枝に飴《あめ》の如く滑かな日の光りをうけて、梢《こずゑ》にゐる鶺鴒《せきれい》の尾を動かすのさへ、鮮かに、それと、影を街道に落してゐる。東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨《びろうど》のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡《ひえい》の山であらう。二人はその中に鞍《くら》の螺鈿《らでん》を、まばゆく日にきらめかせながら鞭をも加へず悠々と、粟田口を指して行くのである。
「どこでござるかな、手前をつれて行つて、やらうと仰せられるのは。」五位が馴れない手に手綱をかいくりながら、云つた。
「すぐ、そこぢや。お案じになる程遠くはない。」
「すると、粟田口辺でござるかな。」
「まづ、さう思はれたがよろしからう。」
利仁は今朝五位を誘ふのに、東山の近くに湯の湧いてゐる所があるから、そこへ行かうと云つて出て来たのである。赤鼻の五位は、それを真《ま》にうけた。久しく湯にはいらないので、体中がこの間からむづ痒《がゆ》い。芋粥の馳走になつた上に、入湯が出来れば、願つてもない仕合せである。かう思つて、予《あらかじ》め利仁が牽かせて来た、蘆毛の馬に跨《またが》つた。所が、轡《くつわ》を並べて此処まで来て見ると、どうも利仁はこの近所へ来るつもりではないらしい。現に、さうかうしてゐる中に、粟田口は通りすぎた。
「粟田口では、ござらぬのう。」
「いかにも、もそつと、あなたでな。」
利仁は、微笑を含みながら、わざと、五位の顔を見ないやうにして、静に馬を歩ませてゐる。両側の人家は、次第に稀になつて、今は、広々とした冬田の上に、餌をあさる鴉《からす》が見えるばかり、山の陰に消残つて、雪の色も仄《ほのか》に青く煙つてゐる。晴れながら、とげとげしい櫨《はじ》の梢が、眼に痛く空を刺してゐるのさへ、何となく肌寒い。
「では、山科《やましな》辺ででもござるかな。」
「山科は、これぢや。もそつと、さきでござるよ。」
成程、さう云ふ中に、山科も通りすぎた。それ所ではない。何かとする中に、関山も後にして、彼是《かれこれ》、午《ひる》少しすぎた時分には、とうとう三井寺の前へ来た。三井寺には、利仁の懇意にしてゐる僧がある。二人はその僧を訪ねて、午餐《ひるげ》の馳走になつた。それがすむと、又、馬に乗つて、途を急ぐ。行手は今まで来た路に比べると遙に人煙が少ない。殊に当時は盗賊が四方に横行した、物騒な時代である。――五位は猫背を一層低くしながら、利仁の顔を見上げるやうにして訊ねた。